2017年03月25日

二戸市民文士劇 みちのく忠臣蔵〜相馬大作物語〜

 当会も携わっている二戸市民文士劇が2月19日に上演されました。

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 2014年10月の「九戸政実市民文士劇〜天を衝く〜」(これを1年目とします)、2015年10月の「二戸市民文士劇〜天を衝く〜」に続き3年度目です。
 通年は10月開催だったのですが、今季は岩手国体が10月を中心に開催されたため、時期を変更して2月となりました。

 初年度、二年度目は九戸政実を題材とした「天を衝く」を上演。三年度目の今回は相馬大作を題材とし「二戸市民文士劇 みちのく忠臣蔵〜相馬大作物語〜」を披露。配役も、今回加入の若いメンバーを中心とし、これまでのメンバーは脇を固める形で新作感を前面に出しながらの上演となりました。



 江戸時代は1868年に終焉を迎えその年から明治となる訳ですが、遡ります事およそ50年、文政四年(1821年)にいわゆる相馬大作事件がおこります。
南部藩と津軽藩はそれまでの関係から犬猿の仲。事件前年の文政三年には南部利敬(としたか)が没しますが、津軽家の家格が上昇し津軽寧親(やすちか)の官位も昇進したことから、氣鬱になり没したという風評もたつほど。その時、南部の家督を継ぐ吉次郎は年若く無位無官。身分は津軽のはるか下となる。

 そのような状況で、南部家家臣ではなく浪人の下斗米秀之進=後の相馬大作による、参勤交代帰国の途についていた津軽公への襲撃未遂事件が勃発。これが相馬大作事件である。襲撃は大作側密告者による津軽への情報漏洩により未遂に終わり、大作は翌年江戸にて斬首。しかしながら、参勤交代道中の道筋を変えるのは天下の御法度。寧親も隠居に追い込まれる事となるのであった。

 というようなところが相馬大作事件として伝わっている事なのですが、当時江戸一番の道場に学び免許皆伝を受けた大作。文武を収め、その後の吉田松陰や宮部鼎蔵など多数の人物に影響を及ぼしめた大作がなぜこの事件を起こしたのか。
 オロシャを筆頭に西欧列強の脅威に晒され始めた日本の中で、当時としては世界状況をも見据え得る視点を持つ稀有な人物でありながら、なぜ藩同士の争いを起こさなければならなかったのか。
 舞台は従来には無い新たな相馬大作解釈の中で進んでいきます。






 ここからは、Photo Studio P-BOX 並びに 福岡写真館 が頒布した写真をブログ用にリサイズして紹介していきましょう。



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 プロローグ

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 相馬大作事件から約30年後、吉田松陰と宮部鼎蔵が大作を偲び二戸を目指す場面から開始となります。
 さて、これからの物語がどう進んで参りますか。話はこの二人の登場から45年ほど前の択捉島へと遡ります。









 文化四年(1807年)、択捉(えとろふ)島紗那(しゃな)村には南部藩、隣の蘂取(しべとろ)村には津軽藩が北方警護の任についていた。

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 4月、択捉島はロシア帝国の軍艦に襲撃される。後に択捉事件と呼ばれる出来事。日本と西洋との初めての戦争であった。
 滞在していた南部藩の侍たちは、過去からの確執により津軽藩の侍たちに援軍を頼む事もままならず、完全なる敗北を喫するのである。








 文化五年(1808年)、江戸随一=日本随一と名高い平山行蔵の道場へ入門した下斗米秀之進(後の相馬大作)は、文武を収め、めきめきと頭角を現していく。
 平山道場では、賄賂が横行する江戸城中での南部藩・津軽藩の序列争いを嘆きながらも、世界に目を向け日本は西洋列強からの侵略に備えるべきであると教えを受ける。







 江戸城中松の廊下
 あの松の廊下でございます。吉良殿と浅野殿の関係を、津軽公と南部公にすっかり当てはめます。史実には無いと思いますが、そこはそれ。お芝居ですからね。
 いやむしろ、圧倒的な演技力で印象付けることにより、この場面が後々まで活きてきます。

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 なんて簡単に書いているけれど、や、本当に、ここのシーンすっごい良いんですよ!







 さて秀之進君も若者になってきまして、嫁をもらうのであります。

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 かなりラブコメなシーンですが、ここから妻・光子にしてこの劇団における The 女優 というお方が出てきますよ。








 十九歳で平山に師事した秀之進も、講武実用流免許皆伝と嫁を貰い、二十五歳で故郷二戸に戻るのであった。
 金田一に落成した兵聖閣の祝いの席に、福岡代官中野、平山道場からの友である細井も訪れ、門弟たちと共に講武実用流の戦い方を披露。
 代官からは、藩公よりの援助も取り付ける。喜ぶ門弟一門。


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 さてと、きえものの西瓜は本番でいきなり食うと、練習の時とは違って台詞の出が大変でござる。

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 そして、秀之進お抱えの刀鍛冶・大吉も登場。

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 だが、鍛冶仕事をしても誰も金を払わぬという理不尽振りに、大吉の不満は募っていくのであった。










 ここからは特別ゲスト IBC 江幡平三郎氏登場であります。


 文政三年(1820年)、弘前城春の夜宴。
 どうやら幕府の御老中方に賄賂をばら撒いたらしく、津軽寧親公は石高が十万石と改められ、更には朝廷より従四位下の位も賜ります。
 色々と画策した江戸家老他、皆が今こそ我が世の春とぞ殿へ祝いを述べている場面に、津軽筆頭家老の頼母(江幡氏)が苦言を呈しに現れます。


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 が、取り巻きの、奥方様、江戸家老、お局様、藩士、御女中にまで散々な責められよう。
 挙句、殿にはお手打ち寸前にまで追い込まれ、暫く出仕に能わずとのお達しを受けてしまいます。


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 頼母殿は月夜にお家の先行きを嘆くのでありました。









 一方、南部公身罷られた後、二戸では下斗米秀之進の息子・勝之介が、同年の子ども達に、お前の父ちゃんはお殿様がいじめられて死んだのに、仇を討たないなんて侍じゃない、犬だ、犬侍だ、とはんつけにされる。


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 秀之進も責められるのは同じであった。門弟達からは、南部侍の面目が廃る、今起たずして何の忠義か、仇を討たずば武士とは申せぬと、やいの催促。
 一人、かすめて飯食ってるのもいますがね。

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 そこへ、福岡代官中野殿が登場。


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 人払いをした後に持ち掛けられたのは、やはり南部公のご無念を晴らすべく津軽公を撃てとの密談であった。
 手練手管に長けた代官は、時には熱く、時には一介の浪人である秀之進に土下座までして決起を促す。







 代官が去った後、考えを巡らす秀之進の元に息子・勝之助が現れ、父が卑怯者と罵られたことに到底我慢がならぬと告げる。


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 我が子の言葉に腹をくくった秀之進は、刀鍛冶の大吉を呼び、武器弾丸、戦支度を発注するのである。
 が、例によって、手元不如意につき支払いはツケと押し通す。

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 表面上は現さぬが、内心憤懣やる方無き大吉。
 秀之進はそんな大吉に向けて、津軽公の参覲交代帰路道中を現地で探ってくれと頼むのであった。(ここ大事)









 文政四年(1821年)、羽州街道の峠にて武装し待ち構える秀之進一味。
 当時、江戸随一=日本一の平山道場の流れを組む兵聖閣の面々は、津軽公を必殺の覚悟を以って隠居勧告状を携え待ち構えていた。


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 しかし、津軽の行列は来ない。
 兵聖閣の面々による不当な扱いに恨みを重ねた刀鍛冶の大吉が津軽側に情報漏洩。
 津軽は参覲交代に届け出ていた道筋を変える事によりこの場は事無きを得たのである。









 津軽江戸屋敷では、悪いひとたちによる悪い密談が行われていた。


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 秀之進は、妻・光子、息子・勝之助、弟子・関良輔と共に江戸へ身を寄せておる。さすがに本名では憚りがあるとみえ、下斗米秀之進改め相馬大作と名乗っておる。
 ならばさっさと捉えては。
 江戸での人気、大作に分がある。
 此度の件、赤穂浪士になぞらえみちのく忠臣蔵ともてはやすものまで出る始末。
 が、将軍家のお膝元で人気者の大作を襲っては、津軽の評判ますます下がろうて。

 では、どうすれば?
 御老中方に金品を配り、配下の町奉行に働きかけて頂く。大作を奉行所の牢にぶち込んでしまえばこちらのもの。
 や、しかし、もはやお家の金蔵、鼻血も出ませぬ。
 兎に角今を凌げば良いのだ。よいな、金じゃ、金を用意せい。ははぁ。


 いつの世も上役はご無体でござる。
 そしてやたら説明ネームの多い場面でござる。









 江戸市中、大作が弟子の関良輔は捕り方達と大立ち回り。

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 拍子木も入り、睨みまで効かせるという魅せどころ。
 有難くも、客席からは拍手を頂きました。










 すると何か?大作は捕り方共に一切手向い致さず、神妙にお縄を受けた、と申すか?
 はて、何故逃げもせず、易々と捕らわれたのだ?奉行が直々取り調べる。

 という話の一方では

 




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 万事は金、金にござる。
 よいな、もっともっと金をばら撒いて、ご老中方を動かすのだ。







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 家斉様、如何なさいましょう。
 老中よ、任せた、良きに計らえ。

と、それぞれの思惑が交錯し









 牢中にて、大作と光子最期の邂逅場面。

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 牢中にて、大作と良輔
 おそらく死罪獄門となろう。打ち明けておこう。刀鍛冶の大吉の事だ。あれはいわば私が裏切るよう仕向けたようなもの。
 な、何と。

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 復讐は新たな復讐を生む。挙げ句の果ては南部、津軽、どちらの家も取り潰されよう。
 そうなったら蝦夷地の備えはどうなる。内輪もめしている場合ではないのだ。
 また津軽の侍も家命を守っているだけで南部の侍と違いはない。誰の血も流したくはなかったのだ。

 






 そして町奉行よりの判決。
 津軽越中守と南部大膳大夫との経緯が委細記され、その上で大作と良輔には死罪獄門の沙汰。

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 残された妻光子と息子勝之助は旅姿。
 そこへ覆面の男達が襲いかかる。

 光子、勝之助、抵抗するも劣勢というその場面


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待て待て待て待て待てぇい!
平山行蔵と姪の豪子が助っ人に現れる。


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 まあ、物語の進行上いかにもご都合主義なこの場面ではあるけれど、客席からは思わずのため息と拍手が。
 ほんとピンチだったし、いいタイミングで正義の味方登場だったんだろうね。






 というところで、幕なのであります。


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 いやぁ、今回も、舞台と裏方と観客が一体となった、良い芝居でありました。

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 客足的にも、大入りだったんですよ。

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 どれくらいかというと、ハケの観客さんがこんなにっていうくらい。
 皆様本当に有難うございます。















 さあここからは、当会撮影の舞台裏オフショットを一挙掲載。
 みんな楽しんでいるのがわかると思います。

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 ということで皆様、お疲れ様でした、有難うございました。また、やりましょう!

posted by やぶさめいいんちょ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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