2017年03月25日

二戸市民文士劇 みちのく忠臣蔵〜相馬大作物語〜

 当会も携わっている二戸市民文士劇が2月19日に上演されました。

IMG_6480.jpg




 2014年10月の「九戸政実市民文士劇〜天を衝く〜」(これを1年目とします)、2015年10月の「二戸市民文士劇〜天を衝く〜」に続き3年度目です。
 通年は10月開催だったのですが、今季は岩手国体が10月を中心に開催されたため、時期を変更して2月となりました。

 初年度、二年度目は九戸政実を題材とした「天を衝く」を上演。三年度目の今回は相馬大作を題材とし「二戸市民文士劇 みちのく忠臣蔵〜相馬大作物語〜」を披露。配役も、今回加入の若いメンバーを中心とし、これまでのメンバーは脇を固める形で新作感を前面に出しながらの上演となりました。



 江戸時代は1868年に終焉を迎えその年から明治となる訳ですが、遡ります事およそ50年、文政四年(1821年)にいわゆる相馬大作事件がおこります。
南部藩と津軽藩はそれまでの関係から犬猿の仲。事件前年の文政三年には南部利敬(としたか)が没しますが、津軽家の家格が上昇し津軽寧親(やすちか)の官位も昇進したことから、氣鬱になり没したという風評もたつほど。その時、南部の家督を継ぐ吉次郎は年若く無位無官。身分は津軽のはるか下となる。

 そのような状況で、南部家家臣ではなく浪人の下斗米秀之進=後の相馬大作による、参勤交代帰国の途についていた津軽公への襲撃未遂事件が勃発。これが相馬大作事件である。襲撃は大作側密告者による津軽への情報漏洩により未遂に終わり、大作は翌年江戸にて斬首。しかしながら、参勤交代道中の道筋を変えるのは天下の御法度。寧親も隠居に追い込まれる事となるのであった。

 というようなところが相馬大作事件として伝わっている事なのですが、当時江戸一番の道場に学び免許皆伝を受けた大作。文武を収め、その後の吉田松陰や宮部鼎蔵など多数の人物に影響を及ぼしめた大作がなぜこの事件を起こしたのか。
 オロシャを筆頭に西欧列強の脅威に晒され始めた日本の中で、当時としては世界状況をも見据え得る視点を持つ稀有な人物でありながら、なぜ藩同士の争いを起こさなければならなかったのか。
 舞台は従来には無い新たな相馬大作解釈の中で進んでいきます。






 ここからは、Photo Studio P-BOX 並びに 福岡写真館 が頒布した写真をブログ用にリサイズして紹介していきましょう。



170218_ninohe_1_0064.jpg








 プロローグ

170219_ninohe_0010.jpg

 相馬大作事件から約30年後、吉田松陰と宮部鼎蔵が大作を偲び二戸を目指す場面から開始となります。
 さて、これからの物語がどう進んで参りますか。話はこの二人の登場から45年ほど前の択捉島へと遡ります。









 文化四年(1807年)、択捉(えとろふ)島紗那(しゃな)村には南部藩、隣の蘂取(しべとろ)村には津軽藩が北方警護の任についていた。

170219_ninohe_0013.jpg


170219_ninohe_0054.jpg

 4月、択捉島はロシア帝国の軍艦に襲撃される。後に択捉事件と呼ばれる出来事。日本と西洋との初めての戦争であった。
 滞在していた南部藩の侍たちは、過去からの確執により津軽藩の侍たちに援軍を頼む事もままならず、完全なる敗北を喫するのである。








 文化五年(1808年)、江戸随一=日本随一と名高い平山行蔵の道場へ入門した下斗米秀之進(後の相馬大作)は、文武を収め、めきめきと頭角を現していく。
 平山道場では、賄賂が横行する江戸城中での南部藩・津軽藩の序列争いを嘆きながらも、世界に目を向け日本は西洋列強からの侵略に備えるべきであると教えを受ける。







 江戸城中松の廊下
 あの松の廊下でございます。吉良殿と浅野殿の関係を、津軽公と南部公にすっかり当てはめます。史実には無いと思いますが、そこはそれ。お芝居ですからね。
 いやむしろ、圧倒的な演技力で印象付けることにより、この場面が後々まで活きてきます。

170219_ninohe_0080.jpg

170219_ninohe_0087.jpg


BCAM0195.jpg

 なんて簡単に書いているけれど、や、本当に、ここのシーンすっごい良いんですよ!







 さて秀之進君も若者になってきまして、嫁をもらうのであります。

170219_ninohe_0125.jpg


170219_ninohe_0127.jpg


170218_ninohe_1_0221.jpg



 かなりラブコメなシーンですが、ここから妻・光子にしてこの劇団における The 女優 というお方が出てきますよ。








 十九歳で平山に師事した秀之進も、講武実用流免許皆伝と嫁を貰い、二十五歳で故郷二戸に戻るのであった。
 金田一に落成した兵聖閣の祝いの席に、福岡代官中野、平山道場からの友である細井も訪れ、門弟たちと共に講武実用流の戦い方を披露。
 代官からは、藩公よりの援助も取り付ける。喜ぶ門弟一門。


170218_ninohe_1_0309.jpg


170218_ninohe_1_0342.jpg





 さてと、きえものの西瓜は本番でいきなり食うと、練習の時とは違って台詞の出が大変でござる。

170219_ninohe_0208.jpg






 そして、秀之進お抱えの刀鍛冶・大吉も登場。

170218_ninohe_1_0384.jpg

 だが、鍛冶仕事をしても誰も金を払わぬという理不尽振りに、大吉の不満は募っていくのであった。










 ここからは特別ゲスト IBC 江幡平三郎氏登場であります。


 文政三年(1820年)、弘前城春の夜宴。
 どうやら幕府の御老中方に賄賂をばら撒いたらしく、津軽寧親公は石高が十万石と改められ、更には朝廷より従四位下の位も賜ります。
 色々と画策した江戸家老他、皆が今こそ我が世の春とぞ殿へ祝いを述べている場面に、津軽筆頭家老の頼母(江幡氏)が苦言を呈しに現れます。


170218_ninohe_1_0398.jpg


170218_ninohe_1_0412.jpg


170218_ninohe_1_0437.jpg


170218_ninohe_1_0419.jpg


170219_ninohe_0226.jpg


170218_ninohe_1_0436.jpg


 が、取り巻きの、奥方様、江戸家老、お局様、藩士、御女中にまで散々な責められよう。
 挙句、殿にはお手打ち寸前にまで追い込まれ、暫く出仕に能わずとのお達しを受けてしまいます。


170219_ninohe_0229.jpg

 頼母殿は月夜にお家の先行きを嘆くのでありました。









 一方、南部公身罷られた後、二戸では下斗米秀之進の息子・勝之介が、同年の子ども達に、お前の父ちゃんはお殿様がいじめられて死んだのに、仇を討たないなんて侍じゃない、犬だ、犬侍だ、とはんつけにされる。


170219_ninohe_0232.jpg








 秀之進も責められるのは同じであった。門弟達からは、南部侍の面目が廃る、今起たずして何の忠義か、仇を討たずば武士とは申せぬと、やいの催促。
 一人、かすめて飯食ってるのもいますがね。

170218_ninohe_1_0490.jpg






 そこへ、福岡代官中野殿が登場。


170219_ninohe_0246.jpg


170218_ninohe_1_0516.jpg



 人払いをした後に持ち掛けられたのは、やはり南部公のご無念を晴らすべく津軽公を撃てとの密談であった。
 手練手管に長けた代官は、時には熱く、時には一介の浪人である秀之進に土下座までして決起を促す。







 代官が去った後、考えを巡らす秀之進の元に息子・勝之助が現れ、父が卑怯者と罵られたことに到底我慢がならぬと告げる。


170218_ninohe_1_0526.jpg


 我が子の言葉に腹をくくった秀之進は、刀鍛冶の大吉を呼び、武器弾丸、戦支度を発注するのである。
 が、例によって、手元不如意につき支払いはツケと押し通す。

170218_ninohe_1_0536.jpg

 表面上は現さぬが、内心憤懣やる方無き大吉。
 秀之進はそんな大吉に向けて、津軽公の参覲交代帰路道中を現地で探ってくれと頼むのであった。(ここ大事)









 文政四年(1821年)、羽州街道の峠にて武装し待ち構える秀之進一味。
 当時、江戸随一=日本一の平山道場の流れを組む兵聖閣の面々は、津軽公を必殺の覚悟を以って隠居勧告状を携え待ち構えていた。


170219_ninohe_0264.jpg


170218_ninohe_1_0565.jpg


 しかし、津軽の行列は来ない。
 兵聖閣の面々による不当な扱いに恨みを重ねた刀鍛冶の大吉が津軽側に情報漏洩。
 津軽は参覲交代に届け出ていた道筋を変える事によりこの場は事無きを得たのである。









 津軽江戸屋敷では、悪いひとたちによる悪い密談が行われていた。


170218_ninohe_1_0599.jpg

 秀之進は、妻・光子、息子・勝之助、弟子・関良輔と共に江戸へ身を寄せておる。さすがに本名では憚りがあるとみえ、下斗米秀之進改め相馬大作と名乗っておる。
 ならばさっさと捉えては。
 江戸での人気、大作に分がある。
 此度の件、赤穂浪士になぞらえみちのく忠臣蔵ともてはやすものまで出る始末。
 が、将軍家のお膝元で人気者の大作を襲っては、津軽の評判ますます下がろうて。

 では、どうすれば?
 御老中方に金品を配り、配下の町奉行に働きかけて頂く。大作を奉行所の牢にぶち込んでしまえばこちらのもの。
 や、しかし、もはやお家の金蔵、鼻血も出ませぬ。
 兎に角今を凌げば良いのだ。よいな、金じゃ、金を用意せい。ははぁ。


 いつの世も上役はご無体でござる。
 そしてやたら説明ネームの多い場面でござる。









 江戸市中、大作が弟子の関良輔は捕り方達と大立ち回り。

170219_ninohe_0289.jpg

 拍子木も入り、睨みまで効かせるという魅せどころ。
 有難くも、客席からは拍手を頂きました。










 すると何か?大作は捕り方共に一切手向い致さず、神妙にお縄を受けた、と申すか?
 はて、何故逃げもせず、易々と捕らわれたのだ?奉行が直々取り調べる。

 という話の一方では

 




170219_ninohe_0301.jpg

 万事は金、金にござる。
 よいな、もっともっと金をばら撒いて、ご老中方を動かすのだ。







170219_ninohe_0303.jpg

 家斉様、如何なさいましょう。
 老中よ、任せた、良きに計らえ。

と、それぞれの思惑が交錯し









 牢中にて、大作と光子最期の邂逅場面。

170219_ninohe_0305.jpg


170218_ninohe_1_0668.jpg





 
 牢中にて、大作と良輔
 おそらく死罪獄門となろう。打ち明けておこう。刀鍛冶の大吉の事だ。あれはいわば私が裏切るよう仕向けたようなもの。
 な、何と。

170218_ninohe_1_0682.jpg

 復讐は新たな復讐を生む。挙げ句の果ては南部、津軽、どちらの家も取り潰されよう。
 そうなったら蝦夷地の備えはどうなる。内輪もめしている場合ではないのだ。
 また津軽の侍も家命を守っているだけで南部の侍と違いはない。誰の血も流したくはなかったのだ。

 






 そして町奉行よりの判決。
 津軽越中守と南部大膳大夫との経緯が委細記され、その上で大作と良輔には死罪獄門の沙汰。

170219_ninohe_0320.jpg


170219_ninohe_0324.jpg










 残された妻光子と息子勝之助は旅姿。
 そこへ覆面の男達が襲いかかる。

 光子、勝之助、抵抗するも劣勢というその場面


170218_ninohe_1_0720.jpg


170218_ninohe_1_0739.jpg




待て待て待て待て待てぇい!
平山行蔵と姪の豪子が助っ人に現れる。


170219_ninohe_0335.jpg


 まあ、物語の進行上いかにもご都合主義なこの場面ではあるけれど、客席からは思わずのため息と拍手が。
 ほんとピンチだったし、いいタイミングで正義の味方登場だったんだろうね。






 というところで、幕なのであります。


170219_ninohe_0411.jpg


170219_ninohe_0421.jpg


 いやぁ、今回も、舞台と裏方と観客が一体となった、良い芝居でありました。

BCAM0877.jpg








 客足的にも、大入りだったんですよ。

ACAM0935.jpg


 どれくらいかというと、ハケの観客さんがこんなにっていうくらい。
 皆様本当に有難うございます。















 さあここからは、当会撮影の舞台裏オフショットを一挙掲載。
 みんな楽しんでいるのがわかると思います。

_DSC4226.jpg


_DSC4228.jpg


_DSC4204.jpg


_DSC4207.jpg


_DSC4218.jpg


_DSC4221.jpg


_DSC4232.jpg


_DSC4234.jpg


_DSC4203.jpg


_DSC4231.jpg


_DSC4257.jpg


_DSC4258.jpg


_DSC4281.jpg


_DSC4284.jpg


_DSC4307.jpg


_DSC4302.jpg


_DSC4280.jpg


_DSC4306.jpg


_DSC4245.jpg


_DSC4272.jpg



_DSC4310.jpg


_DSC4309.jpg


_DSC4321.jpg


_DSC4318.jpg







 ということで皆様、お疲れ様でした、有難うございました。また、やりましょう!

posted by やぶさめいいんちょ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

十和田駒フェスタ 世界流鏑馬選手権 2016

 ブログ掲載に時間がかかってしまいましたが、当会参加としては今年度最後の流鏑馬競技大会にして、シーズンを通じた各地大会でも50名規模という最大の参加人数と最高の難易度を誇る「十和田駒フェスタ 世界流鏑馬選手権大会」が10月15日16日の2日間、十和田市中央公園で開催されました。

 北は北海道から南は広島までだけにはとどまらず、流鏑馬の世界選手権という冠にふさわしく、フランスからもトップ選手が参戦。馬上、和弓による流鏑馬技術を披露し、観客を魅了する大会となりました。
(ここからの記事写真:九戸城流鏑馬実行委員会&競技流鏑馬激写隊の皆さん。今回はアットランダムに写真を貼ります。)


IMG_5982 (1).jpg

_DSC0619.jpg


_DSC0400.jpg





 この大会に出場するため、ある者は直前1週間程度の合宿に入り、ある者は地元で弓練を行うなどして挑んでおります。
 各地流鏑馬競技出場団体の中からも送り出す選手の選考が行われたところもあるかもしれません。


_DSC0723.jpg


_DSC0790.jpg


_DSC0623.jpg


_DSC0735.jpg

 



 また北里大学にんじんサークルの面々は、この大会に参加する選手を送り出すため予選会まで開催し、強力な刺客達を送り込んでいます。

_DSC1226.jpg


_DSC1064.jpg


 考えてみてください、数年来かじっている社会人が休日を利用して練習しているのと、去年今年始めた学生が日々練習しているものと、その仕上がりレベルはどちらが高いものか。その中でさらに選抜を行っているのですから、社会人選手には脅威です。





 そしてにんじんサークルといえば、裏方の存在も忘れてはいけません。東北各地の大会ではいつも馬廻組や的検めとして大活躍のにんじんですが、世界選手権では集大成ともいうべき参加人数とサポート体制を整え、大会の円滑運営のために朝2時から活動してくれています。

_DSC0622.jpg


_DSC1425.jpg


_DSC0527.jpg





 さあ、そんな頂点の大会、駒フェスタ世界流鏑馬選手権。参加クラスは例によって3階級に分かれます。正面の的を射抜く「初級の部」、正面に加え下方射が入る「中級の部」、正面・下方射に加え、馬場を逆走する形で右側の的を射抜く馬手射(めてしゃ 馬手=右手)が入る「プロ級の部」と、クラスが上がるごとに的の難易度が増し、そして馬場を駆け抜ける制限時間も速くなっていきます。

_DSC0672.jpg


_DSC0755.jpg


_DSC1001.jpg


_DSC0927.jpg


_DSC0826.jpg


_DSC1035.jpg



_DSC0807.jpg










また鉄砲馬場も同会場で行われる春の桜流鏑馬の直線とは異なり、S字クランクが施されより難易度の高いコース取りとなっています。

_DSC1151.jpg


_DSC1239.jpg


_DSC1153.jpg


_DSC1338.jpg


_DSC1381.jpg




 この他に、三騎一組となって駆け抜ける「団体戦」、そしてサドンデスマッチの「勝ち抜き戦」も用意され、最高難度の大会に相応しい内容。

14856175_1031582910285973_1193073270624946189_o (1).jpg


IMG_6018.jpg


_DSC1730.jpg





 選手は個々の技量や事前の練習状況によって、勝ちに行く者、お立ち台を狙う者、魅せる射に取組む者、ウケ狙いに走る者、参加を楽しむ者、それぞれですが、皆安全を念頭に大会に参加。それをサポートするにんじんを含めた裏方も駆け回っておりました。

_DSC1376.jpg


_DSC1443.jpg


_DSC0727.jpg


_DSC1504.jpg


_DSC1524.jpg


_DSC1749.jpg


_DSC0729.jpg


_DSC1660.jpg


14567499_1031582870285977_5760887711123212115_o.jpg


14656353_1256908817693560_8495155608427348677_n.jpg


14725505_1158033410958065_3335395210280364003_n.jpg


_DSC0730.jpg


14716313_1031582890285975_2892091403586932705_n.jpg





 今年は両日ともに天候にも恵まれ、観客動員数も増加し、締めくくりの良い大会となりました。

IMG_5988.jpg


14691116_731536670334669_2950168570499507162_n.jpg


IMG_6018.jpg


_DSC1054.jpg


_DSC1071.jpg






 皆さん、お疲れ様でした。

IMG_5987.jpg




また来シーズン、戦いましょう!








posted by やぶさめいいんちょ at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 流鏑馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

古戦場流鏑馬体験会2016 (子どもゆめ基金助成事業)

9月24日(土) 国指定史跡九戸城跡にて、古戦場流鏑馬体験会2016を開催いたしました。当日の様子を紹介していきましょう。

2011年から始まった九戸城や流鏑馬に関連した当会イベントも、回を重ねるごとに参加者が増えてまいりました。都度体験内容が変化していたりしますので横並びに単純比較というわけにはいきませんが、同じ子どもゆめ基金を活用した昨年の体験会よりもより一層体験者さんが増え、過去最高といっていい集まりとなりました。ありがとうございます。






当日朝は、今年の8月に整備された「九戸城エントランス広場」に集合。

DSC05032.jpg

このエントランス、「九戸城ボランティアガイドの会」の皆さんの受付事務所ともなっており、九戸城観光の新たな拠点として注目を集めている場所です。




朝集まったみんなは、始まりの会からスタートしました。
お互いに挨拶をして、今日のプログラムの説明です。

今回のプログラムは、
1)ここから「九戸城ボランティアガイドの会」の皆さんによる城跡の歴史ガイド
2)競技流鏑馬選手による流鏑馬デモンストレーション見学
3)実際にみんなでやってみる流鏑馬体験会
歴史に触れ、迫力を間近に感じ、世代を超えた仲間とともに実際に馬に触れ合いながらの体験会と、盛りだくさんの内容を用意しました。











それではさっそく、ガイドさんに教えてもらいながら九戸城跡を散策してみましょう。

DSC08631.jpg

一般に豊臣秀吉による天下統一は天正18年の小田原征伐により完成したといわれておりますが、その翌年、天正19(1591)年、九戸政実の居城、九戸城を豊臣・南部信直方が包囲し、これによって中世が終焉したのです。
兵力は、九戸党5,000に対し豊臣勢65,000。すぐに決着がつくであろうとタカをくくっていた豊臣勢ですが、九戸党の守りは堅く攻めあぐねておりました。
というような歴史背景が続いてまいりますが、詳しくはまた別の機会にでも。




散策をすると、十和田湖噴火の時の形跡が見える地層があったり

_DSC9664.jpg




模型を見ながら、九戸の合戦の時の九戸党、豊臣・信直勢の布陣を勉強したり

DSC05053.jpg



堀や土塁、石組みや井戸の跡など、見どころ満載で歴史ガイドを楽しみました。

_DSC9689.jpg

_DSC9696.jpg

やっぱり、ちびっこよりはお父さんお母さんの方が興味をしめしていましたね。












さて一方、馬はエントランス広場から会場である石澤館跡に移動します。

P9249120.jpg



この写真で見ると分かりやすいのですが、右手が本丸・二の丸側、左手が石澤舘です。間の堀跡が散策路になっています。

P9249134.jpg


堀跡を移動する馬群、これもかなり貴重な写真ですね。

P9249128.jpg












そして、歴史ガイドを聞いたみんなは一般の見学の方とともに、流鏑馬デモンストレーションを見学します。

AG5A6261.jpg

デモンストレーションとはいっても、競技流鏑馬の選手が集い、計測や審判も配置して実際の競技形式で開催されましたので迫力満点!

DSC08702.jpg

DSC08703.jpg

_DSC0053.jpg

DSC08689.jpg

体験会参加の皆さんも、その技術と成績に一喜一憂しながら楽しんでいました。










さあ、いよいよお待ちかねの時間ですね。
弓を射るのも馬に乗るのも初めてのみんなが多いと思いますが、では実際に流鏑馬を体験してみましょう。

DSC09207.jpg


まずは弓を練習してみよう。
持って、打ち起こして、分けて、ほ〜ら飛んだ!


DSC09224.jpg

DSC09227.jpg

DSC09235.jpg






そうしたらいよいよ、歩く馬上で弓を射る流鏑馬体験です。
ヘルメットを被って、鐙の長さを合わせて馬に乗ったら、さっき教わった弓をやってみましょう。
しかも、馬は止まっていないで引き馬で歩くからね。
上手く前に飛ばして的に中てられるかな、どうかな。

AG5A6787.jpg

AG5A6789.jpg

AG5A6776.jpg

AG5A6790.jpg

AG5A6803.jpg

みんな、よくできました。
楽しい体験だったようで、その後、絵日記に描いてくれたという子もいたそうですよ。








そして、ご協力いただいた皆様
今年の体験会プログラムも無事、安全に開催することが出来ました。
ありがとうございます。
次の機会もよろしくお願いいたします。





DSC08641.jpg

古戦場流鏑馬体験会2016の模様をお伝えいたしました。


posted by やぶさめいいんちょ at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 九戸城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

【告知】今年もやります、古戦場流鏑馬体験会2016

お待たせいたしました。
昨年大盛況でした流鏑馬体験会。今年も開催決定です!

古戦場流鏑馬体験会2016
子どもゆめ基金助成事業

2016.9.24(土) 9:30~14:00ごろ
岩手県二戸市 国指定史跡九戸城跡


omote.jpg
クリックで別ウインドウ表示になります。


1.朝、集まったらガイドさんと一緒に城跡散策して歴史に触れましょ。
2.次は、流鏑馬デモンストレーションの見学です。これから体験する流鏑馬って、選手になったらどんなふうにやっているのか、迫力を見学してみましょ。
3.そしていよいよ流鏑馬体験です。弓を射ってみよう。馬に乗ってみよう。弓と馬ができたら、騎射を体験してみよう。


今回の体験会は4歳以上が対象 上限なし
(幼児児童の弓・流鏑馬体験は体格によって考慮)

しかも今回、無料です!
この体験プログラム、大人だったら参加費2万円ぐらいは欲しいところ。

ここまでぎゅ〜っと濃縮した体験会、全国を探してもなかなか無いと思いますよ。



この記事を見てピンときたあなた
馬に乗ってみたいあなた
流鏑馬体験に興味のあるあなた
ぜひ、お申し込みください。


ura.jpg
クリックで別ウインドウ表示になります。


*当日、九戸城跡の全体では九戸城古戦場まつりが開催されています。
古戦場流鏑馬体験会は石澤舘跡で同時開催というイメージですね。



posted by やぶさめいいんちょ at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 流鏑馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

全国スポーツ流鏑馬 第1回八戸大会

8月11日、山の日。まだまだ馴染みの薄い新しい祝日、それもそのはず、今年が初となった山の日に、これもまた今年が初開催である「全国スポーツ流鏑馬 第1回八戸大会」が櫛引八幡宮にて行われた。


スポーツ流鏑馬の競技選手は何人も八戸にいるのだが、これまで実際の大会が八戸で開催されたことはなく、八戸弓馬会・流鏑馬競技連盟東北支部・櫛引八幡宮・十和田乗馬倶楽部・全国流鏑馬女子部・九戸城流鏑馬実行委員会からなる「全国スポーツ流鏑馬八戸大会実行委員会」によって実現した大会である。
開催場所の櫛引八幡宮では、9月、秋の例大祭にて神事流鏑馬の奉納を行っているが、競技流鏑馬の大会は初開催と、初めて尽くしの大会となった。
(ここからの写真協力:スポーツ流鏑馬激写隊の皆さん)

IMG_5494.jpg



この八戸大会、実現に向けそれまでも各方面から水面下での調整は行っていたのだが、実行委員会を組織し会議が始まったのが6月下旬。
遠野・盛岡・二戸・十和田から八戸へ委員が集結。大会開催を実現するのかしないのか、するとすれば実現へ向けての予算立ては、協力体制は如何にといった議論が開始される。この時は大会名も決まっていなかったので、仮に八幡馬会議とでもしておこう。
この八幡馬会議で櫛引八幡宮の協力も得られ、大会開催に向け走り出すことが決定した。2回目以降の会議では大会名・委員会名も決定され、実現への細部打ち合わせが進んでいった。

こうして実行委員の各々が参加する団体が全面協力のもと、櫛引八幡宮特設馬場で行われた記念すべき第1回大会が実現したのである。







さて、というような事前話の整理はこれぐらいにして
櫛引八幡宮特設馬場で開催された「全国スポーツ流鏑馬 第1回八戸大会」には、小学6年生から60代まで全国22名の選手が集いました。
九戸城流鏑馬実行委員会からも2名の選手が参戦し、2人ともなかなかの活躍を見せましたよ。これほんと。

13925187_1094410347318441_4317293699505762960_n.jpg




選手は朝8時から試走開始だったので、ちょっと早いかなと思いつつ7時に神社着。ところが、みんなも現地入りが早い早い。かなりのメンバーが早々に集まっていましたね。
またこの会場、櫛引様の全面協力により馬場や馬繋ぎも素晴らしく整備され、弓道場では体験乗馬と弓体験コーナー、出店も準備されるという、本当に羨ましい限りの会場が出来上がっておりました。

IMG_5491.jpg







開会式、厳かな人馬並びに馬場清めに続き

IMG_5521.jpg


IMG_5526.jpg


IMG_5527.jpg





団体戦から始まった八戸大会
団体戦の1組目の先頭だったのですが、微妙な立ち上がり。ここから上り調子にしよう。





と思っていたら、次は上級の部。
もちろん誰もが始まる前から負けるつもりで出る訳はない訳で、狙いにいこうと集中しています。
もとより実力がひっ迫している上級の部。
3番目に出たのですが、1番目、2番目が2人とも1走目から3射皆中を叩き出します。これだってゆっくり走る訳じゃない。110m(だったと思う)を9-12秒内で駆け抜けなければならない最速部類の上級の部にて、前2人が連続皆中。いきなり、駒や遠野と同等かそれ以上に難易度が上げられました。
この大会の集中度といったら、個人的には過去大会の中でも最高レベルでしたね。
そして3番手の成績や如何に!?


IMG_5506.jpg



などというような高いレベルの戦いは上級だけでは済まなかったのです。
一般の部でも3射皆中が続出!

今回の櫛引様の馬場、コース取りは中ほどから大きくカーブしており、杉木立ちに囲まれております。
杉木立ちの雰囲気は神域での流鏑馬という感じで素晴らしかったのですが、選手からすると杉木立ちとカーブで馬場の全容が見えず、木立ちの間に的が突然出てくる設営。
しかも馬場には山砂を入れてもらっていたので、馬には走りやすかったのか、高速時計が続きます。

3つの的を3走して競い合う流鏑馬競技。
高速テクニカルコースにもかかわらず、上級・一般の全参加者22名で、3射皆中を23回叩きだすという恐ろしくレベルの高い大会となりました。
1人3走するわけですが、単純に均すと1人1回は3射皆中をしていた勘定になります。上記のように的を捉えにくい難しい馬場でしたので、これはまさに数日前に開催された流鏑馬クリニックの成果が如実に現れた結果といえるでしょう。


そして団体戦の3走目で全てのプログラムが終了

IMG_5524.jpg


IMG_5530.jpg





かと思いきや、ここで突然司会の咄嗟の機転&観客サービスにより、選手全員による勝ち抜き戦が始まりました。
1走ごとに3射皆中を果たした者だけが勝ち残り、最後の1人になるまで続けられるサドンデスマッチ。しかもタイムは上級合わせの9-12秒に収めなければなりません。

プレッシャーなのか妙な駆け引きをしすぎたのか、1戦目で上級が1人しか残らなかった中、一般の部から6名が勝ち上がり、合計7名が残りました。当会選手もこのうちの1人に勝ち上がりましたよ。


13938438_1196807933703649_5268981200380132331_n.jpg


そして、2戦、3戦と勝ち抜き戦が続けられ、最後の勝者は上級の選手が他を抑えて優勝。非常に盛り上がった勝ち抜き戦となりました。





全ての競技を終え、閉会式。
第1回大会、落馬、怪我もなく、ハイレベルな競技を行うことができたというのは、櫛引八幡宮のご加護だったのではないでしょうか。


IMG_5523.jpg

当会選手結果
勝ち抜き戦:1戦目勝ち抜き
上級の部:3位
団体戦:優勝










IMG_5520.jpg

来年度以降も櫛引八幡宮での八戸大会、継続していけばよいですね!



posted by やぶさめいいんちょ at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 流鏑馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする